趣味が人間観察の人の心理と性格は悪いのか?何か役に立つの?

「趣味は人間観察です」って言う人、たまにいるわよね。
人間観察なんて趣味にして楽しいの?それとも何かの役に立つのかしら?
そういう、人間観察をする人は深層心理では、一体どんなコトを考えてるの?
ちょっと考えてみたわ。

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人間観察をする人の心理

人の言う「趣味は人間観察です」って大きく2種類あると思うのよね。

1つは、人をバカにするためだけに行うもの

もう1つは、人のことをもっと理解したくて行うもの

この2つによって、考え方は大きく変わってくるんじゃないかしら?

人をバカにするための人間観察

人を見てバカにするために人間観察をしているような人は、ひねくれたくそガキお子様に多いわね。

そして、人間観察なんて言ってはいるけれど、人の悪いところしか見ていない。

人と違う、いわゆる「ツッコミどころ」を探している人たちだと私は思っています。

そういう人は、自分よりも劣っている(と思える)人を見つけては、まるでゲームのように心のなかで攻撃して楽しむ。

この行動には自分への自信のなさが現れているわ。

自分に自信がないのに、自分を変える気持ちも力も勇気もない。

だから自分より下だと思える人間をたくさん用意して無理矢理自分を上げるしかないのよ。

もし、これをやってしまっているって気づけた人は、今すぐやめることをオススメするわ。

人を理解するための人間観察

一方で「人の行動や思考がもっと知りたい!理解したい!」

そういう理由で人間観察をする人もいるわ。

その場合は、私も理解できるわ。

「人を理解したい」という気持ちはとても前向きなものだし、誰かと仲良くなりたい気持ちもあるのだと思えるから。

でも、やっぱり「人間観察」という形で、しっかり集中されて見られたらあんまりいい気はしないわね・・・。

やっぱりなんかこう・・・

自分が気づかず恥ずかしいことをしてしまっているところを誰かに見られていたら嫌じゃない?(笑)

「観察」って言葉もなんか嫌だしね。

人間観察は役に立つのか?

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人間観察が趣味ではない人も、人間観察を日常的に行っているわよね。

観察って言うと大げさかもしれないけど、私たちも人の動きを見てから、自分の動きを決めるときとかあるわよね。

あれも一種の人間観察だと私は思うわ。

例えば、混雑した駅とかでは周りの人を注意深く見たりするんじゃないかしら?

そういう場面では、逆に見れてない人、見る気がない人が横暴な態度を取ったりするわよね。

本当の意味で人間観察がしっかりできている人は、人の気持ちがよくわかる共感力の強い人だと私は思うわ。

人をよく見ている人、観察できている人というのは、その人が次に何をしたいかもすぐわかるはず。

だから、混雑した駅ではちゃんと人をかわすことができるし、周りの人の変化にも敏感にすぐ気づいてあげられる。

そういう意味では、人間観察が役に立つこともあるんじゃないかしら?

まとめ

・人をバカにするための人間観察は今すぐやめよう!

・人間観察をされていい気分になる人はいないので、ほどほどに。

・人間観察により、人の気持ちを理解することができるので役に立つこともある。

 

私は人をバカにするための人間観察は大嫌いよ。

でも、人を理解しようとする、人を知りたいと思う人間観察については理解できる。

自分以外の人間を完全に理解するのは無理。

そうだとしても、

その人がどうしてその行動をとるのか?

その人が何をしようと思っているのか?

こういうことが少しでも理解できるようになれたら、人に優しくなれそうな気がするしね。

それじゃ。

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5 Responses to “趣味が人間観察の人の心理と性格は悪いのか?何か役に立つの?”

    • あ様
      こんばんは!ユミコです!
      コメントありがとうございます!
      そうですね。
      私は人間観察に対してかなり批判的です。
      私は人をバカにして楽しむような趣味の悪い人間観察に関して憤りを感じています。
      ですので、人間観察自体に偏見を持ってしまっています。
      もちろんそうじゃない人もいると理解してはいます。
      ですが、どんな理由であっても自分の行動を人にじっくり観察されるのは気分のいいものではないなって思います。
      この記事を読んでご気分を害されたなら、申し訳ありませんでした。

  1. 失礼で申し訳ないけど、あなたはなんの目線なのかと思う。あなたも現に人を決めつけて色眼鏡で見ているのではないか。私は人間観察が趣味だとは公言しないけど、人間がすごく好きで自然と興味がそちらへ向かう。自分では自然に人を理解したいし知りたいと思っていて、気づくと自分と人の境界が曖昧になっている自分に自分自身で嫌気がさすこともある。だからある意味で人間が好きなことは自分が嫌いなことへの裏返しのような気もする。人間のことがわかっていると言いたいと思われたくないのだが、人は自分からは全く予想もつかないことを考えているのも事実だと、人に興味を持っているからこそ思うことがある。だから、他人に興味がある人間に対して、あなたのイメージを押し付けないで欲しいと思ってしまった。

    • かれーぱん様
      おはようございます。
      ユミコです。
      熱いコメントありがとうございます!

      私も言いたいことを素直に言って人を否定する以上は、
      そういった批判コメントはいただいても仕方のないことだと思っています^^;

      かなり攻めた書き方をしてしまっているのでちょっとわかりづらいかもしれませんが、
      人間観察をする人に対して、一括りにしているつもりはありません。
      私が嫌なのは、人をバカにするためだけの人間観察と言う名を借りたツッコミどころ探しです。
      人を理解するための人間観察には、理解を示しているつもりでした。
      ただ、観察される側の立場になって考えてみると、少し嫌な気持ちになるのも事実ですが・・・

      私の記事で不快な想いをさせてしまって申し訳ありません。

  2. あなたの最初の方の文面がひっかかりすぎて熱くなってしまいましたごめんなさい。
    けれど人間観察=共感につながらないのも事実だと思う。自分には、人は知れば知るほど、真には理解できない存在に思えてくる。そして自分以外の人間は自分とは永久に交わらない別個の人間であり、完全に理解することなどできないことを念頭に置くようになることにこそ意味があるのではないだろうか。

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